【寄せる距離と、保つ距離。】

「これで間を抜かれたり、上を越されたら、仕方なし」。
そんな守備体系を目の当たりにすると清々しささえ覚えてしまう。

ボールパークに時折、足を運んで内野席(自由席)でプロ野球観戦をしていた時期がありました。
個人的な見どころ、プロの醍醐味と緊張感を覚えたのが、守備チームの敷く陣形でした。

塁には走者がいる。ここはもう一点も失点できない。お互いの勝負どころ。チームの誰もが試合の流れを決定づける状況だと認識している。内野陣はベースラインよりも一歩・二歩も前に、外野陣も定位置より、ぐぐっと前のめりに出て構えている。
内野自由席の中・上部から観ていると、その浅い守備体系からチームの意図が明確に伝わってきます。「走者がホームをねらえば、必ず刺しにいく」・・・バントの前進守備と同様、守備側の“攻める”意思を感じます。

やるベき時に、やるべき体制をしき、それでも間や上を抜かれて失点してしまったら、結果としてはプロとして良し・・・ではないかもしれないけれど、過程には納得する。そんな守備チームの意気込み、潔さを観客として感じてしまう。

各種のスポーツも、各分野の仕事、公私の出来事も、多くの日常の物事は、対する相手がいて成り立っています。そこには、さまざまな「距離」のとり方があるのだと思います。
戦略や戦法、コミュニケーション・・・言葉でのやりとりや喜怒哀楽の感情、沈黙、内面的な交錯・・・どんな場にも、各人各様の想いがあり、人と人との間に生じる距離があり、その中で凸凹の思考錯誤や言動があるはずです。

私たちの仕事に眼を向ければ、対人サービス・・・まさに直の、人と人との日々の関わり合いの場。人間同士の生の関わりあいにおいて、私たちは、子どもたちに対して、「正しい」ことばかりをしているわけではないのだと思います。さらに言えば、人と人との間の「正解」は、人それぞれで、違う場合もあり得るのだと思います。

必要なのは、日常の対応の一つの正誤に固執するのではなく、大人が子どもたちとの関わりを通して、「お互いの距離感」に意識的であり続けること。適宜に距離を開けてみたり、時に近くに寄ってみたり。日々の接し方の失敗や成功が積み重なりの中で、子どもたちも大人の人間としての体温を感じとってくれることもあるのだろうと思います。一個の人間と人間として、信じ想いたいものです。

※複数の職員が、日々の活動を通してそれぞれの視点で綴っています。

放課後等デイサービス くまさん横浜


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