【アタマとキモチのハードディスク】 

意識的に、「選択的」に生きることで。

私たちは、日常生活の中で、「選択的注意」をしながら暮らしています。
朝起きて、夜寝るまでに、新聞やテレビ・ラジオ、家族や職場・お客さんとの会話(やりとり)、町で出合う様々な視覚的・聴覚的なコト・モノetc.・・・自分の前に現れる幾多の発信の中から、自分に必要な「情報」だけを無意識にとり出す能力をもっているそうです。ですね。
(※「選択的注意」について、関心のある方は検索してみてください)
自分にとって大切な情報は脳に「入力」し、それ以外は捨ててしまう。そうすることで、日々に溢れる情報(あるいは雑音)との折り合いをつけています。

「選択的注意」について、「発達障害かもしれない」(磯部潮 光文社新書)の中では、以下のように述べています。

『われわれの知覚は、強い選択性をもっている。特に目の前の人が出す情報に自動的に焦点が合うという強い傾向があり、重要な情報以外は自動的にフィルターにかけられて除去されてしまう。ところが、自閉症の場合、このような自動的な対人情報の絞り込みや、不要な雑音に対するフィルターがきちんと作動しない。チューニングの悪いラジオを聴いているようなもので、雑音の中に情報が
埋もれているような状況と考えるとわかりやすいのではないだろうか』

目で見るもの、耳で聴くものを、自分にとっての「雑音」を雑音として除去できず、すべて等価・等量で、脳に入ってきてしまう。PCならば、画面はファイルだらけでハードディスクの容量もすぐに一杯になり、容量オーバーの状態で、無理に入力しようとすると、フリーズをおこしてしまうように、パニックに陥ってしまう。また、自分のしたいことをしているときにも、対象への関心からファイルが満杯になり、大きな声の呼びかけにも反応しなくなってしまう(反面、小さな物音に過敏反応するときもあるのに)。

などということも記されていますが、こうしたことを胸において、不安定になりがちな、マイペースは僕のことな・・・あのこの児童の様子をリアルに観察すると、うむむと和み交じりに合点がいったりします。私たちの場に通う児童の特性として、よく研修等でも出てくるだろう話なのでご存じの方もいるでしょう。
年齢や個人の特性をこえて、他者を理解したり、どんな状況でもできるだけ安定した気持ちでいるためにも専門的見地からの知識や、自分が納得できる、胸に入る考え方を身につけておくことは、意識のハードディスクをちゃんと回転させることと関連して必要だと考えています。

職場での「やるべきこと」を日常的な「必要情報」として捉えるならば、対人サービス・・・人と向き合うことが主であろう場において、取捨選択や主従の関係について、どんなことが言えるのでしょう? 言うまでもないことだとは思います。
その場で生じる必要なことは、必要なことだから生じるのだとは思います。が、まずはなによりも、その知識と意識をもって場に立ち、対象者に向かうこと。向かって、意識的に動いて、での間違いもあるでしょうが、意識的な行動選択からは、意識的な軌道修正も生まれやすいのではないかと思います。たぶん。すべての分野・公私生活に通じる話ではないでしょうか。

※複数の職員が、各自の視点で綴っています。

放課後等デイサービス くまさん横浜


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