障健混在、歳交自在。

朝日新聞「折々のことば」から

私たちは、命をもった生物として、様々な時間の中で顔や声や気持ちを通わせる人間として、心の深層でどんなことを思い、体感しているのか。

上記の記事にその想いをもって、「放課後等デイサービス」という時空間をあらためて眺めてみると、「人と人が、関わる、交わる」ということに、なにをかを感じます。感じていたい、です。

真の表現者とは、すごいなと思います。写真家、作家の真っ直ぐに、人の物事をみつめた言葉。そして、解説者(記事の書き手・選者)の言葉。いずれも、端的で、平易な言葉の組み合わせの中に、表面的な文々ではなく、被写体・対象者にちゃんと向き合った、人と人との関わり合いをとらえる、人間の言動の本質としての「表現」が、そこにあります。

「私たちの場所」・・・多くの子どもたちと大人、小学生~高校生と若者職員、若者プラスな職員、さらにプラスな年齢の職員と、幅広い人間が集う異年齢空間。学校とは違い、決して広い、大きい場所とは言えませんが、狭いは狭いうえでの、「人と人とが」を考え、味わう、なにかがある。意味がある。と、も一度考えてみたい。そんな思いがしてきます。

「ただ存在することが、声である。そう信じたい」 「生活時間の大よその場面では、無年齢者でいる」・・・前者は、子どもたちへ向ける眼として、後者は、歳を重ねて(「とる」ではなく)生きる、我が意を得たりの感があります(日本人は、表面的な年齢をとても気にする人たちですが、「なぜ年齢を聞くの?」(ある百貨店のキャンペーン・コピーを思い出します)。一個の人間がそこに在り、強さや弱さをまるごと抱え、生きているということ。人や物事、時間に向き合う、ふつうの言葉は、暮らしの中に息吹を与えてくれます。

ちなみに、記事のタイトルにもある「障健混在」は、「ノーマライゼーション」の私的和訳です。公私生活のキーワードとなる言葉に出合った際、横文字で 「ん?」・・・すっと頭と胸に落ちない言葉は、和訳コピー化する習慣があり、これは地域の活動団体のテーマワードとして使ってもらっていますが、物事を身近に寄せる一案だと思っていますので、よろしければ「まねぶ」してみてください。

私たちの場に通う児童の中には、発語に課題をもった人も多くいます。なかなか思ったり、感じたことを言葉にできない子どもたちもいるわけですが、だからこそ、受け入れるスタッフは、「対話」としての言葉を意識し、磨いていく必要があるのだと思います。それは、「発達障害」や「自閉症」に関する専門書等の中で語られている知識、技能としての言葉もあると思いますが、スタッフ自身が「胸」や「腹」で向き合う中での言葉であるようにも感じています。シンプルに、直に、伝わる言葉は、自分の想いを突き詰め、濾過していくことから生まれてくる、のかもしれません。

※複数の職員が、それぞれの視点で綴っています。


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