ほめるも、叱るも。
ほめるも、叱るも。
【ほめるも、叱るも。】
“気持ち”が、たいせつなんだと思います。やっぱり。
ほめ方・叱り方の経験や技術はあると思います。様々なケースを通して、個々の職員が自ら学び、スキルアップをしていかなければいけません。
その上で個人的に、なによりたいせつ、と考えているのが、ハート。
大人が、子どもに向き合うときの心もち、だと思っています。
私たちは、「なぜ、ほめるのか? 叱るのか?」
自分なりの想いを胸に置いて、子どもたちに向かうことではないでしょうか。
社会の中で、人と人の関わりの中で、一人の人間が物事を通して、他者の評価を得て自信をもつ。大人の真摯な姿勢から、これは良くないことと学ぶ・・・など、大人が、子どもに、社会生活・集団生活の中で教えていかなければいけないことだからでしょう。くまさん横浜も、その“機会” “場”であるからです。
くまさん横浜では、児童をよくほめます。毎日、児童一人ひとりを意識的にほめることが、しくみ化されています。衣服の着脱、お弁当やトイレ・手洗いでの行動、玩具を他の児童に譲った、一緒に遊んだ、あいさつがきちんとできた等々…小さなことでも、よくほめます。
“ほめる”ことの意味合いは、この分野の言葉で言えば、「自己肯定感」や「自尊感情」「スモールステップ(小さな成功体験)」「居場所や幸福感」などを得ること。生きる喜び、育みにつながります。私たちが子どもたちとの一緒の時間を通して、見出していくことでもあるし、一個の人間の感情としても、周りにいる人を含めて笑顔になります。
一方で時に、児童を叱ることもあります。たとえば、公共・公衆・団体行動の場で、明らかに社会のルール・マナーに反することをしてしまった時。運転中の車内の装置などを触らない、室内では決められた場所以外は入らないなど、予めの約束事を守らなかった(守れる力があるのに)時。たとえば、他者との関わりの状況にもよりますが、暴力的な行為に及ぼうとした場合など。
「一人の行動が、本人や大勢の人間を危険にさらす」「社会の場で、その行為・行動、言葉を身につけてもらって欲しくない」「自分が、この子の親なら、誰もがみて、『良くない』と思うことを放置してうれしいか?」・・・など、職員が自らに問いかけてみる。大基の根っこの気持ちをもって、叱る。
ただし、人間は、大人とて、“正しさ”のかたまりで出来ているわけではありません。私たちの叱る(ほめる)の中にも、間違いや失敗はあるでしょう。それは職員間の話合いでその都度確認をしながら、方向修正を何度でも図っていけばいいと思っています。
“叱る”という行為は、しないで済むのなら、それに越したことはありません。職員も、児童も、ほめる⇔ほめられる だけの関係や時間で過ごせるのなら、ハッピーなのかもしれません。
でも、「叱るべき時は、叱る」。一人の大人として、人間として、くまさん横浜の職員として、場に応じて、誰かが叱る役割を引き受けなければいけない。そのことで、子どもが職員から距離を置く場合もあるでしょう。できることなら、いつでも子どもたちの人気者でいたいものですが、「放課後等デイサービス」を看板に掲げている以上、子どもたちにとって、ただの”いい人(=問題意識のない人)”の集団では、やっぱり困ると思うのです。
ほめるも、叱るも、子どもたちに伝わり切れない部分もあるでしょう。完全無欠のほめ方、叱り方というのもないでしょう。そこは、チームとして目的と体温を忘れずに、日々の活動を通して繰り返し、省み、軌道修正していくことで、子どもたちの理解を得たり、体感したりしてくれる機会を増やしていくしかありません。
私たち大人は、ほめる・叱るを通して、自らを試されている部分があります。
ほめる、叱ることは、そのことへの前向きな姿勢があって、言動として具現化されるもの。大人と子ども、大勢の人の集まりの中で、誰かが誰かに向けて、人を評する言動をとることは、その場に居る人全体への「メッセージ」の発信ともなります。
これからご縁あって、くまさん横浜の職員として仲間になる方も、もしかしたら、この記事を読んでいるかもしれません。
ほめる・叱るにぜひ、意識的な人であって欲しい。自分なりにがんばったと思える日は、実は家に帰ってどっと疲れが出たりします。人と人とが関わり、カラダと気持ちを張ってメッセージを体現することは、エネルギーのいることなんです。
ほめる・叱るに、“ハートの年齢”が表れたりしますぞ。
【本日の届け歌♪】 日曜日よりの使者 https://goo.gl/1tGbh5
※このブログは、複数の職員が日々の活動を通して、各自の視点で綴っています。
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