日常を、ワハハ♪していることで、

日常を、ワハハ♪ していることで、


(タイトルからの続きです)

育まれていく人としての強さ、逆風時のねばっこさのようなものが生まれるんじゃないのかな。そんなことを思っています。

 

ワハハじゃなくても、意識して気を向けることでの、ニコッ、ニヤッ、ほんわか、ほんのり、ほほぉ、ほのぼの…そのような胸とお腹の深呼吸や栄養源となり、気持ちをほぐす日々の中の笑い、ちょっとした「福」。場に集う人とは「お福分け」をして、一緒に楽しんだり。

こうした生活の笑いは、「なにか面白いことはないかなぁ」と受け身で待つのではなく、日常風景を自らが吸い取り紙のように感じとって、笑い合ったり、感心したりして楽しんでいくことで、心地よさややさしい気持ちに包まれたりするのでしょう。

 

NHKの長寿番組で「鶴瓶の家族に乾杯」というのがあります。ゲストと全国に出かけ、打合せ無しのぶっつけ本番の旅をする。その土地土地の家族(学校・職場等も)に、アポなしでその場交渉し、話を訊いていく。地の人の人つながりで、気の赴くままに訪ねていく。そこにあるのは、大きな人や話やイベント事ではなく、全国の初めて聞く街だったりする場所での地元に密着した話です。

 

これがなぜ、面白いのか? 長く続いているということには、それなりの理由があると思うのですが、私はこう解釈しています。

「人が『幸福』と感じるものは、実は平易な毎日の暮らしのその辺に転がっている。そういう物事を拾って、笑い、笑い合って、次の日常につないでいけるって、

いいねぇ。そんな重なりって、たいせつ」と、体感させてくれる。

気づくのも、気づかせてくれるのも、人。鶴瓶さんやゲストが、地域の日常をある視点で面白がったり、当り前・普通すぎて埋もれていたことをあらためて引っ張りしながら、笑いや元気を創出している。「そこに、人がいる。暮らしがある」。

 

でも普通に、普段着のワハハやニコッがあれば、人は生きていけるのか?

家族は、子どもたちのことをはじめ、それぞれいろんな課題を抱えている。天災や人災など、不慮の事故も多発し、いつ自分や家族がその当事者になるかもわからない。そのとき、ワハハやニコッとしていられるか? といえば、たぶんむずかしい。

 

でも、だからこそ。日常の中に転がっているワハハやニコッを育むことは、草木に例えれば、土(土壌)と根っこを育んでいることでもあるんじゃないか。花はしおれ、枝葉は折れ、枯れして今は笑えないが、生きようとする足元、根っこは生きている。ちょっとしたワハハやニコッを見つけ、積み重ねる心根は宿っているから。そう在りたい。

日本人は、年齢を気にかける民族だと思いますが、歳を重ねて想う、歳を重ねるからこそたどり着ける「笑い」があるのだと思います。

 

子どもたちと関わりながら、「発語が増えたね」「お掃除が上手になったね」「順番を守れるようになったね」…こうした毎日を通して、私たち職員は子どもたちから、笑顔の水遣りをいただいているわけです。

 

ワタシが笑えば、あなたが笑う。家族が笑う。

 

※このブログは複数の職員がそれぞれの視点で、日々の出来事を綴っています。

 


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