有限に謳(うた)う。

有限に謳(うた)う。

  限られた容量や狭い空間に身を置く…キャパシティが限られているからこその、なんとも言えぬ心地よさ。

 たとえば、水をカラーボールやクッション、ぬいぐるみなどに換えた「プール遊び」もそう。活動的にどんな目的があるとかの理屈をこえて楽しかったり、くつろぎを覚える。子どもたちにも人気で、多くの笑顔が狭さゆえの解放感を表しています。

 

 人間には「限りあるもの」に心を寄せたり、本能として体感的に引き寄せられるものがあるのでしょう。子どもたちのプール遊びをみながら、私も少年時代の遊びを思い出していました。押入れ基地(そこで寝たりもしたり)、どこかの廃屋の狭く暗い屋根裏探検、カマクラ遊び(昼間に作り、夜に食べ物を持ち寄って集まり、過ごす、寒楽しい時間)、松林の木の上に板切れだけを敷いて作った隠れ基地・ツリーハウス(までは言えませんが)など。

活動時間での一つの遊びが、あるキーワードを媒介にして、時間を巻き戻します。

 

「限る」「限り」への意識は、ちょっと飛びますが、大人の時間でもこんなことも思い出させました。企画書の作成でよくしたのが、まず枚数やフォーマット(図論構成・見せ方)を決めてから、内容を当て込んでいく。この案件なら何枚で、この感じのフローチャートに盛り込んでいく…ことで、構成や表現が絞り込まれていく。条件・前提=限られることは、物事には付き物ですが、そのことが自分に意思を与え、時に追い風・前進の帆を掲げることにもなり、結果(良し悪しはありますが)を生む。

  

 一つのプール遊びから、こんなことを想っていたのですが、その最たることは、人間の限られた「生命(いのち)」でしょう。

 私たち親は、子どもの障害の有無を問わず、「親亡き後」について、絶えず頭の片隅にあります。どんな立場にいる親も、限られた生命をいま、生き、それぞれの立場で、思いで、子どもたちの様々な道を描いていると思います。

 私も、子どものもつ社会の中での発達の課題を思えば、少しでも丈夫で長生きして、後押しをしてあげたいものですが、限られている人生を、状況・条件を、大人の自分が楽しもうとしている。今のいま、そんなふうに子どもに感じとってもらえるように日々を生きていけたらと思っています。(言うは易しなのですが、hahaha)

 

※くまさん横浜のブログは、複数の職員がそれぞれの視点で日々の物事を綴っています。


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