腹の底から。
腹の底から。
【腹の底から。】
折につけて、思う。
いま、共に暮らす家族と、「腹の底から、笑顔になりたいという想いをこめて、心から日々を接しているのか?」
いまの自分は、どのくらいかはわからないが残された生命(いのち)の自分は、
「腹の底から、どう生きたいのか? なにをたいせつにしたいのか?」
いまの自分の在り様を、「どうしようもない部分も含めて腹の底から、認め、信じてあげることができているのか?」
いま、目の前にいる人を、「腹の底、腹の眼で見ようとすれば、すべてを良し・好しと肯定できるわけじゃない。それも含めて、ちゃんと他者を認めることができるのか?」
「信頼」と「信用」は違う。「信頼」とは、信じて委ねること。「用」のために信じることではないのです。
他者に向けてではなく、自らに向けての「気持ち」が問われるのだ。
ひとりの時間の中で、自らの「個」に向けて、いろんな想いが湧いてきます。
そんな自分をかかえながら、「くまさん横浜の一職員」として、
いま、目の前にいる子どもと、「腹の底から、笑顔になりたい」との想いを込めて過ごしたい。そう思うのです。
四六時中、24時間、一時も忘れることなく、精魂込めて力尽きるまで、と言ったら、うそになるでしょう。たいせつなことは、「人が、人に、向き合って、時間を過ごしている」ことを忘れないこと。私生活でも悩みを抱えながら、凸凹の失敗を重ねながらの人間が、様々な特性をもつ子どもたちと、痛みをもつご家族と接している。
私の記事は、週一位でUPされる「高尚なブログ」と、職場仲間から冗談交じりにからかわれておりますが(笑)、それでもいいのです。
誰かに向けて、なにかを伝えるときにこめるもの。
「気持ち」。それしかありません。
23年前、家人(妻)と同じ誕生日の女児を亡くしました。今、家にいる男児は、わけ合って、子ども医療センターで生まれました。家人のお腹にいる際、羊水検査を勧められ、病院の駐車場まで行き、そのまま引き返してきました。もし、なにかが起きれば、「すべてを引き受ければいいこと」だと。
きわめて個人的なことを書きましたが、とっくに吹っ切れているからですが、くまさん横浜に通う子どもたち、そしてご家族の皆さんに向けて、なにかを伝えたい。そんな想いがあるのでしょう。そして、いつも心の中で言っていることがあります。
「もう十分にがんばってきたけれど、これからもご縁をたいせつに、みんなで、がんばっていきまっしょっい♪」
「それぞれの児童・ご家族の在り方で、それぞれの笑顔、幸福感を手にしていきましょう」
腹の底から、私は言いたい。
【本日の届け歌♪】Jupiter
くまさん横浜のブログは、複数の職員が日々の活動と視点を通して綴っています。
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