受容する

受容する




『変われないこともあるよ 俺だって

  変わろうと足掻いている時間の方が大事なように俺は思うよ』

 

「聲の形」という漫画で、主人公の石田将也が発した言葉です。

振り返れば、ン10年。公私生活において、「変わった」「変わらない」「変えた」「変えられない」そして又、「変わろう」…自身との葛藤、自問自答、考動の試行錯誤を繰り返してきました。

 

私自身、親の会に属する一親であり、職場や地域、コミュニティで生きる社会人であり、その中で動いて変わり、動けず変わらず、良くも悪くも「変わる」ことに、喜びや不安やあせり、一喜一憂をしながら時を送ってきた部分があります。

 

「変わる」ことは、団体生活・行動の中で求められもします。

人は、自分のみならず、他者にも変わることを求めている。

他者との共同(協同・協働)で暮らすことが前提の中で、人は人に、正当性や必要性の有無をこえて、そうしてしまう部分もあるのではないのでしょうか。

 

私たちが一緒に時間を過ごす子どもたちに対しては、どうなのだろう?

他者との関わりについての社会性や、「変わる」ことについての特性・課題について、私(たち)は放課後等デイサービスに従事する立場としても、一親としても心得ているはず。なのに、つい求めすぎてはいないだろうか?

変わるとしたら、まずは子どもたちを通して反映される自身の考動。日々の接する機会を通して、己の未熟さを子どもたちが教えてくれているのでしょう。

 

こんな凸凹、間違い多き人間ですが、一つ言えることは、だからこそ、「人を受容する」・・・そう在ることを意識しながら、日々の職務にあたっているということ。間違いと弱さをもった凸凹人間が、児童にも大人にも一口に「正しく導いてやろう」などとは言えません。

 

冒頭の主人公の言葉は、変わるのは自分。子どもたちから感じとったり、教えてもらったりしながらということをあらためて思い出させてくれました。

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