人は多面。

人は多面。


「アンタも100人、オイラも100人。」

 

私はあの人の背中を見ているけれど、違う誰かが見ているのは、その人の正面。

 

自分以外の他者を見る時、意識していることです。

人は多面をもち、誰かと接する際、自分が感じる相手、そして相手から見る自分は、ほんの一部。しかも、自分の「立場・思考性」において、相手を自分に寄せて思った「あの人は、○○○な人」と見がちだということです。

どの立場・位置=利害・関係性から、その人を見ていて、自分を正当化して物言う割に、相手の他面をどのくらい知っているのか? どのくらい知ろうとしているのか? 実際には誰もかれもできないで、最低限はその意識をもって、相手を見たり、発言したりした方がいいだろう、ということです。

 

冒頭の言葉は、その想いをキーワード化したものです。

ここに大企業の社長Aさんがいて、周りに円を描き、その中にいろんな立場・環境に居る人たちを書き込み、Aさんと個々に直線で結びます。<町内会の子どもたち>にとって、Aさんは時々、一緒に町内の草むしりをするオジサン。ラーメン屋の店主にとっては、よく来るお得意さん(肩書きなど知りません)。<Aさんの会社を顧客とするB社のCさん>にとっては、非常に数字(価格)に厳しいお客様、厳しい価格で少しずつ積上げた資金で就労支援事業を行い、イベントも催すAさんを、<その場を利用する人・家族>は地域の良き応援者・支援者として慕っています。

立場・環境・関係性で、その人の自分評価は変わってしまう。人は人と接する時、 自分との利害性関係性で知る、ほんの何ミリであろう相手の一面で解釈して、つい断定的に言及しがちでもある。

このことを胸のどっかに絶えず置いておく。人は他者を「理解」することはそう単純にいかないのではないでしょうか。

 人間の内面・思考性は、物理的な仕切りがあるわけではなく、長年の習性によるものも大きいでしょう。それは大人でも、子どもでも、自分とは違う「他者」に向かう際、顔を出すものではないのでしょうか。

子どもたちには長短、両面あるのでしょうが、決めつけはしないように心がける。

短所・欠点という時、もしかしたら相手をする自分の短所・欠点により、対処・対応できない言動・事象を指すこともあるのかもしれません。

子どもたちの長所や可能性を探すことは、自分の視野・視点を育むこと。そんなえらそうになことは言えないのですが、少なくとも仕事を終えて帰路に着きながら、一日を省りみ、明日の糧としています。

 

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