困っている? わからない?

困っている? わからない?


 

  私たち職員が、“わかっているつもりで、わかっていない”。つい陥りがちなこと。時折、思い出しては自戒しなければいけないこと。いろいろあるのでしょうが、こんなこともその一つです。 

 

「子どもたちは、“ほんとうに困っていことを伝えられないことに、困っている”。

そのことに相当なストレスをかかえている」

(一親として参加した、発達障害シンポジウムでのパネリストの発言から)

 

 「困り感」という言葉があります。「嫌な気持ちや苦しい思いを、自分では上手に解決できずに、どうしてよいのかわからない。その状態にある時に、本人が抱く感覚」と言われています。

 

 併せて、「わからないことが、わからない」ということ。

なにがわからないのかが、わからない=換言すれば、わからないことを他者に伝えたり、質問・確認したりするためには、対象となる物事について、わかっていることと、わかっていないことが、わかっていることが前提になります。

 

  ここを苦手とする子どもたちが多いのですが、考えてみれば児童・大人、場所を問わず、学校・会社・町内会…“様々な社会”で暮らす人々の誰にでも言える、物事の本質が含まれていると思うのです。

 「人は一人では生きられない」と言いますが、人間は不完全な生き物であり、一人の能力は限られていて、どんなコミュニティで生きようとも、必ずや周囲の「支援が必要」だということ。

 ”生き方が上手な人”は、困っていること、わからないことについての他者からのサポートを得る力がある人。生き上手・暮らし上手。そんな一面を持ち合わせていることは確かです。でも、多くの人はなかなか叶わないから、人それぞれの生き難さをかかえています。

 

 で、くまさん横浜に集う子どもたちに想いを寄せます。(誰でもですが)困っている、わからないことを理路整然と伝えることは難しい。様々な物事に、自身での解決方法を見いだし難いことは前提です。なのに、ともすれば私たちは、段取りや時間など場面場面で大人の都合に合わせて、子どもたちに性急に答えを求めたり、なにかをリクエストしていることもあるのだと思います。

 

 障害の有無をこえて、私たち一個の人間は、とても不完全で、曖昧で、不安定な生き物であることを自覚し、その人間同士の関わり合いとして、子どもたちに寄り添っていくことが必要なのだと思います。

 

※くまさん横浜のブログは、複数の書き手が様々な視点で日々の活動を綴っていま 

 す。


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